著作

『黍(きび)の花ゆれる』

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BOOKデータベースより/
いつかは鹿児島に帰ってゆく“流人”西郷隆盛を、強く、いさぎよく支えた奄美の島妻・愛加那。凛として、生きる。安政6年、西郷吉之助は、“流人”として奄美大島に降り立った。島の名家・龍家の縁戚にあたる愛加那は、西郷の島妻となった。出会いの時から西郷に拒否され、また、いずれ別れが来ることを承知している愛加那だったが、西郷が、心静かに過ごせるようにと尽くしているうちに、2人の心は通い合うようになっていった。黍の花は穂を垂らさず、天に向かい、まっすぐに立つ。強く、いさぎよい花。西郷が黍の花に託した想いを、愛加那は胸に刻みつけて、奄美で生き抜いた。

執筆のきっかけ/
最初に「愛加那を書いてみたら?」と勧めてくださったのは、私の小説の師・早乙女貢氏だった。数年前のことだ。その時は書く気はなかったが、一冊目の本が出て、次に何かと考えた時、ふと書けそうな気がした。それで思い切って、奄美大島に取材に出かけて書いた。
しかし原稿ができあがってから、本になるまでに、思わぬ苦労があった。感性の合う編集者になかなか巡り合えなかったのだ。フリーの編集者に「テーマは悪くないから、一人称で書き直したら?」などと言われて、目の前が暗くなった。もう小説家としてやっていくのは無理かもしれないと覚悟した。それでも作品に対する自信は捨てられず、昔の同僚の縁をたどって、ダメもと気分で講談社に原稿を持ち込んだ。
メールで紹介された女性編集者は時代物のベテランで、たまたま女子大の先輩だった。それも学科まで一緒。読むのに半年かかるかもしれないと返事がきたが、祈るような気持ちで待った。4ヶ月後に読んだとメールが来て、すぐに出版するという。うれしさよりも信じられない思いが大きかった。でも彼女は「私の出す企画で通らないものは、まずありません」ときっぱり。
講談社が私の原稿を本にしてくれるなんて、最後まで信じられず、いつボツになるかビクビクしっぱなし。本が出て、日経新聞の書評欄で褒めてもらえた時、新聞を手に、初めてうれし涙が出た。

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日経新聞 2005年6月23日

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佐賀新聞 2005年6月25日

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南日本新聞 2005年7月24日

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週刊読書人 2005年7月1日

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産経新聞 2005年8月15日

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共同通信全国配信 2005年8月上旬

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朝日タウンズ 2005年10月27日

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