著作

『千の命』

m_book_5

BOOKデータベースより/
出産が命がけだった時代、死産の際に、苦しむ産婦を楽にし、母体を救う「回生術」をあみだした賀川玄悦の生涯。西洋医学がほとんど紹介されていない江戸中期に、世界に先駆けて胎児の正常位置を発見した賀川玄悦の偉業は、医学史の中で、燦然と輝いている。書下ろし長編小説。

執筆のきっかけ/
Amazonのレビューに友人の装丁家が、こう書いてくれた。「この小説はこの著者にしか書けない、著者と主人公の幸せな出会いのうえ生まれた物語だと思う」。
私と賀川玄悦の出会いは、朝日新聞日曜版の「昔も今も」という小さなコラム記事だった。記事は玄悦の業績を手短に紹介し、最後にこう締めくくってあった。「賀川玄悦の唯一の楽しみは、遊廓街の貧しい子供たちに、温かい綿服を配って歩くことであったという」。
小説になりそうな気がして、すぐに古書のネットで、賀川玄悦関係の資料を探した。その結果、ご子孫の賀川明孝氏がまとめられた「賀川玄悦の系譜とその周辺」という私家版の本があることを知り、すぐに取り寄せた。その中で玄悦のエピソードを知り、人物イメージがたちまち立ちあがった。そして、またすぐに京都に取材に出かけ、非常に短期間で小説を書き上げた。まさに賀川玄悦という過去の人物に書かせてもらった作品といえる。
本ができてから「昔も今も」の執筆者をネットで探して、献本させていただいたところ、お礼のメールが届いた。茨城大学の先生で、ご自分の書かれたコラムから小説が生まれたことを、とても喜んでくださった。大学で教えながら、新聞や雑誌の連載をするのは大変だが、こんなことがあると励みになると言っていただいた。
それからまもなく、雑誌で『殿様の通信簿』という本の紹介記事を目にして、あっと思った。その著者・磯田道史氏こそ「昔も今も」の執筆者で、賀川玄悦のことを書かれた方だったのだ。磯田氏はデビュー作『武士の家計簿』で、一躍ベストセラー作家になったことを、私は不勉強にも知らなかった。
本は著者ひとりでできるものではない。もちろん出版社があり編集者がいてこそ、原稿が本になる。だが、この作品は原稿になる以前に、磯田氏やご子孫の賀川氏の書かれたものに導かれて、小説になった。はからずも「著者と主人公の幸せな出会い」をつくってくださった方々がいたのである。

この本をアマゾンで購入する

『千の命』書評

2006年10月29日
NHK・BS週刊ブックレビュー
http://www.nhk.or.jp/book/review/index.html

小説すばる2006年9月号

小説すばる2006年9月号

日経新聞2006年8月16日
縄田一男氏書評より一部抜粋
一作ごとに確実に力をつけている植松三十里、渾身の傑作である。(中略)題名にある”千の命”とは玄悦のいう「千の命があれば、千の生きてく意味がある」「だれでも、おかあちゃんが命かけて産んでくれはったんやから、大事に生きなあかん」に依るが、この言葉を肝に銘じて、私たちを取り巻く〈現在〉をながめてみると、親と子供のあいだで何とその命が軽んじられていることか。確かな問題意識を持つ堂々の一巻だ。

日経新聞2006年8月16日

日経新聞2006年8月16日

週刊新潮2006年8月17・24日号

週刊新潮2006年8月17・24日号

徳島新聞2006年7月19日

徳島新聞2006年7月19日

050 2006年8月号
小西昌幸氏書評より一部抜粋
(前略)江戸時代、京都で活躍し、後に徳島藩医にもなった日本近代産科学の父・玄悦。彼の波乱に満ちた生涯を、気鋭の作家が入魂の筆致で見事に小説化した。これは良い本だと思う。私は読了までに何度か落涙した。大推薦!

050 2006年8月号

050 2006年8月号

産業新潮2006年7月号

産業新潮2006年7月号