帯の言葉から/
命がけで禁書を作る
林子平は女彫師のお槇とともに、老中・松平定信の追っ手から逃れ隠れて『海国兵談』の版木を彫り続けるが、お槇を連れた逃避行は日ごと過酷なものに。二人の魂が彫り込まれた版木の行方は。
帯裏から/
部屋住みという不遇な身分を利用し、仙台から江戸、蝦夷、長崎を訪れ、見聞を広めた林子平は、ロシア南下の脅威と海防の必要性を著すが、老中・松平定信から本の回収・出版中止を命じられてしまう。子平は、版木の彫師であるお槇に励まされ、二人で「海国兵談」を完成させることを決意する。しかし幕府の監視は日に日に強まり、まさに二人は命をかけて版木を彫ることになる・・・・・。
親もなし 妻なし 子なし 版木なし 金もなければ 死にたくもなし
ブログ「松の間の床の間」から
『彫残二人(ちょうざんふたり)』を書くきっかけとなったのは、「善き人のためのソナタ」というミニシアター系の映画でした。東西ドイツ時代の東ドイツが舞台で、内容は出版統制の話。なかなかの感動作で、なるほど出版統制というのも、小説の題材として面白いかもしれないなと思ったのでした。
それを渋谷まで観に行った翌日、たまたま林子平について本で読みました。名前は有名でも、どんな人かは、意外に知られていないのですが、海防関係の著作を、幕府から禁書に指定され、罰せられた人です。いちおう海防は、私の得意分野でもあるし、これは江戸時代の出版統制の物語になると直感しました。
そのしばらく後に、中央公論新社の編集者という女性から電話がありました。時代物の編集者というと、ベテラン編集者が多いのですが、会ってみると、意外なことに若い方でした。まだ小さいお子さんがいらっしゃるとのこと。
彼女は私の著作を、すべて読んでいて、けっこうマイナーな脇役まで憶えていて、私の作風や特徴を、はっきりとらえてくれていました。その上で「こういう作品を書いて欲しい」と、かなり具体的なイメージで、書き下ろしを依頼されました。
それまでの私は、好きな題材を書いて、出版社に持ち込むという形が多く、こういう依頼のされ方もあるのかと、目からウロコの思いでした。私の球筋をよく知っているキャッチャーが細かくサインを出してくれるような、そんな感じで、そのサインがまた、私が考えていた林子平の話にピッタリでした。
それで書き始めてみたところ、ストーリーが広がって、驚くほど短期間に書けました。以前、講談社から出した『千の命』は、最初の原稿を、ほぼ1カ月で書き上げましたが、それに次ぐ筆のノリでした。
一気に書き終えて、原稿を編集者へ。誉め上手な編集者で、すっかり気を良くさせてもらったのですが、少し不足箇所もあったので、改めて北海道に取材に行きました。林子平は蝦夷地に渡っているのが確実なので。
白老と平取という2ヶ所のアイヌ関係の博物館に行って加筆しました。白老はチセというアイヌの住まいが復元されており、平取の町立博物館の方は、展示がとても美しく、イメージづくりに役立ちました。
ただ編集作業中に、その編集者が「婦人公論」に異動になってしまい、大丈夫かな、ホントに出してもらえるかなと、少し不安もありました。でも、それまで彼女の上司だった方が引き継いで、その方も私の作品を気に入ってくださって、無事、出版に至りました。
『彫残二人』というタイトルや、原田維夫さんにお願いした装丁など、その方のお世話になり、予想以上に、いい本ができたと思います。「彫残」とは「いたみやぶれる」という意味の漢語だそうです。
私の作品の中では『群青』は、かなり史実に忠実に書いたものであり、『女たちの江戸開城』がフィクションの含有率が高いものでしたが、『彫残二人』は『女たちの江戸開城』に近い作品です。林子平をモデルにした時代小説として読んでいただいても、いいかもしれません。
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