著作

辛夷開花(こぶしかいか)

辛夷開花

帯の言葉から
西太后とビクトリア女王に初めて拝謁した、美貌の外交官夫人

幕臣の娘が薩摩の男に嫁ぎ、欧州外交界で活躍
明治初頭を駆け抜けた一人の自立した女性の疾風怒涛の半生

帯裏から
−−東洋の日本から参りました。わが国は長く鎖国をしておりましたが、開国以来、イギリスとは友好関係を築いております。私は日本公使、森有礼夫人のお常と申します。女王陛下にお目にかかれて、何よりの光栄に存じます−−
すると、それまで黙って聞くだけだったビクトリア女王が、側近を振り返ってたずねた。
−−日本とは、中国の隣の国だったかしら−−
−−その通りでございます、陛下。わが国からは地球の裏側にあたります−−
すると女王は身を乗り出して言った。
−−遠くから、ご苦労ですね、小さな公使夫人−−(本文から)

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ブログ「松の間の床の間」から
「辛夷開花」の主人公、お常について初めて知ったのは、まだ私が札幌に住んでいた頃でした。たしか札幌市の中央図書館の郷土史コーナーで、『鹿鳴館貴婦人考』という本に出会い、その中に、お常の項目があったのです。華があって、波乱があって、謎があって、小説になる女性だと直感しました。
でも、それから何度も書いては、嘆息が続きました。彼女の人生最大の謎が解けなかったのです。どうして子供までいながら、外国人との不倫に奔ったのか。何度、小説に仕立ててもダメでした。私の筆に余る題材で、読んだ人を納得させられないのです。
お常の生涯は『鹿鳴館貴婦人考』と、夫だった森有礼の伝記を読めば、だいたいのところはわかります。ただ不倫にまで追いつめられていった心情は、小説でしか表現できない部分です。単なる不倫小説にはしたくないけれど、その心情が描けなければ、お常を小説で描く意味がないのです。
それは私の修行時代のことで、この題材は結局、封印せざるをえませんでした。いつか、もっと小説が上手く書けるようになったら、もういちどチャレンジしようと決めたのです。
それから年月が経ち、歴史文学賞をいただいて、何冊か本も出て、少し自信がついた頃、故郷の静岡新聞とご縁ができて、幸運にも、文化部長から声をかけていただきました。「何か連載しませんか」と。
私は今こそ、お常を書こうと決め、すぐさま企画書とあらすじを書いて新聞社に送りました。そして数ヶ月後、連載決定が告げられました。それから3ヶ間で、私は1年分の連載を一気に書き上げました。ずっと書きたかった熱意が、いちどに放出された感じでした。
幕末に結ばれた不平等条約の改正に立ち向かいながらも、それに打ち勝つことができなかった森有礼夫妻。どんなに努力しても結果を出せないことは、あって当然なのに、歴史は結果だけで、評価が決まってしまうのです。不倫に奔ったことばかりが強調されて、歴史的な評価がきわめて低いお常は、私のほかの作品にも通じるテーマです。

『辛夷開花』書評・関連記事など

オール読物2011年12月号「縄田一男 時代小説、これが今年の収穫二〇冊だ」より
2011-12-05_01-02
 一方、福沢諭吉、西周らと「明六雑誌」を創刊、「妻妾論」で蓄妾を批判、講師として諸外国を巡り、第一次伊藤内閣において初代文部大臣をとつめた森有礼。彼のことは知られていても、その妻お常に関しては、あまり知られていない。が、一昨年、新田次郎文学賞、中山義秀文学賞を連続受賞した実力派、植松三十里が『辛夷開花』でその実像に迫った。西太后やヴィクトリア女王に日本人女性ではじめて拝謁した外交官夫人としての華やかな側面ばかりでなく、幕臣の娘が薩摩の男に嫁ぐというそもそもの発端から、この結婚には複雑なものがあった。が、当初は、森の不平等条約への燃える情熱に共鳴。しかしながら、いったん、初代文部大臣の椅子が用意されるや自分を正当化して前言を翻す姿勢や、独善的で、かつ薩摩の男尊女卑の悪癖が息づく森に反撥。明治期ーーいや、今日にあっても決して生きや易くはない離婚という道を取ることになる。題名は、そのお常が、冬枯れの裸木の中で真っ先に花をつけるが、他の花が一斉に咲き誇る頃には、枯れた花弁を土に落とし、新緑の季節にあっては花木であることも分からなくなる辛夷に自らの姿を重ねたもの。誰よりもはやく女学校を出、日本外交の重要な一翼を担いつつも、正しく”普請中”の国、日本の混迷を象徴するブレる夫とブレない妻。この一組の夫婦を現代日本の外交手腕の劣悪さに重ねた手腕は見事の一語に尽きる。そう考えると、この時から、英米、さらには日本との関係は、どこまで改善されているのか、と思う。さらに植松三十里は、これらと平行して『比翼塚』等、文庫書下しの捕物シリーズを執筆している。が、植松三十里の場合、私はまったく心配していない。比較的、娯楽性の強い文庫書下し作品で読者に楽しみを提供し、単行本で歴史の真実を問うーーそれは正しく車の両輪のようで作者の姿勢は、それこそお常のようにブレていないからである。(縄田一男氏記)

公明新聞2010年12月6日
koumei

朝日新聞11月20日読書欄
朝日著者に会いたい

週刊新潮11月11日号
辛夷書評

小説宝石11月号
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福島民友11月6日
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静岡新聞10月24日
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産経新聞大阪版10月16日
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