帯から
国を富ますのも滅ぼすのも
侍じゃねえ、商人だ。
日本の近代化はここから始まった!
歴史小説階の気鋭が描く、常磐炭鉱を拓いた男の情熱。
裏表紙から
貧しい開拓農民の家に生まれ、幕府に巨木を納入するまでになった磐城の材木商・片寄平蔵は、阿片戦争の現実に衝撃を受ける。アジアが欧米列強の植民地として狙われていること、清国に勝利したイギリスは小国ながら産業革命を成し遂げ、めざましい進歩を遂げていること。やがて西洋の先端技術を支えているのが石炭であることを知った平蔵は、国産の石炭を求めて炭鉱開発に情熱を注ぐ。歴史小説界の気鋭が日本人の底力に迫る長編。解説・末國善巳
ブログ「松の間の床の間」から
角川文庫から『燃えたぎる石』が発売になりました。これは7年前に出したデビュー作『桑港にて』に併載されていた作品です。当時、歴史文学賞を頂いた表題作よりも好評だったために、いつか文庫本にする時には、併載ではなくて、これ1作品で1冊にしたいなと思っていました。
そのために去年『桑港にて』を文庫にした時に、『咸臨丸、サンフランシスコにて』と改題して加筆し、さらに「咸臨丸のかたりべ」という新作を併載して、「燃えたぎる石」は取っておいたのです。それが今回、日の目を見ました。7年前の単行本の時のままでは、1冊分に足りなかったので、あちこち加筆や手直しもしています。
単行本の「あとがき」でも書きましたが、この作品は、私が幕府海軍を調べていた時に、蒸気機関の燃料は、どうしていたのかと疑問を持ったことから始まりました。それで幕末の石炭について、ずっと気になって、あちこちで調べては、手当たり次第にメモを取っていたのです。
たとえば明治維新の際に、幕府方についた唐津藩は、官軍に恭順する際に、筑豊の石炭を、大量に新政府に納めることで、藩の命脈を保ったとか。たとえば箱館奉行所では、御雇い外人の鉱山師に石炭の埋蔵調査をさせていたとか。はたまた、たとえば今の佐賀県の一部では、阿片戦争の時に特需景気が起きたとか。これは長崎のオランダ商館が仲介して、イギリス軍艦に売ったのです。
そんなメモが溜まってきた頃、片寄平蔵を知りました。常磐炭鉱を切り開いて、幕府海軍に石炭を納め、開港場となった横浜に、石炭屋を開いた人物。いわきの出身で、地元では郷土の偉人なのに、その枠から出ていない人。彼を幕末史の中で読み解きたいと思いました。
いわきは今回の地震で大きな被害を受けた町です。今も原発事故の影響を受け、風評被害も多いことでしょう。そんな町に、攘夷という幕末の逆風の中で、日本の未来を信じて頑張った人がいたことを、もっと多くの人に知っていただきたいなと思っています。幕末にエネルギー革命を起こした男の物語です。
『燃えたぎる石』書評・関連記事など
東京新聞2011年6月21日
「オール読物」2011年6月号「江戸の元気、必読の三十冊」
植松三十里『燃えたぎる石』は、常磐炭鉱を発見、開発した片寄平蔵を主人公にした歴史小説。西洋の先端技術に詳しい小野友五郎から、石炭こそが日本の未来を切り開くと聞かされた平蔵は、材木商から炭鉱開発事業に転身する。しかも平蔵は、単に石炭を掘って売るだけでなく、常磐炭鉱を発見してからわずか二年で、石炭を原料にしたコールタール製造を開始しているのだ。常識にとらわれない柔軟な発想と、驚異的な行動力で近代の扉を開いた平蔵は、物作りを得意とする日本の原点なので、日本人というよりも東北人の底力を再確認させてくれるだろう。
(文/末國善己氏)
福島民友2011年6月4日読書欄
福島民報2011年2011年6月
タウンメディア(いわき)2011年7月号
週刊大衆2011年7月4日号