帯から
“妻として、母として、昭和と大正の激動を生き抜いた、貞明皇后の生涯”
大正天皇を公私にわたって支え続けた皇后の、平和への願いと家族の絆を描く傑作長編
本文より
「私は、この戦争が終わるまで、東京から離れません。そう伝えてください」
それは節子にとって、最後の切り札だった。いくら息子といえども、天皇に指図はできない。その代り、今すぐ戦争を終えてほしいという暗黙の主張を、伝えることはできる。
皇太后が疎開しなければ、天皇は疎開するわけにはいかない。母親を見捨てるなど、同義に反するからだ。そして天皇が動かない限り、政府も安全な場所には移れない。
天皇の命が大事ならば、とにかく戦争を終えるしかないのだと、節子は自分の命をかけて、閣僚や軍人たちに訴え続けていた。無理は承知の上での主張だった。
2014年10月8日・産経新聞(夕刊)
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