著作

『天璋院と和宮』

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帯の言葉/
幕末、徳川将軍家の妻となった二人の女性の波瀾万丈の人生

裏表紙の解説/
激動する時代のなか、徳川幕府は大きく揺れ動いていた。そんな時、第十三代 将軍・家定の正室として、薩摩藩主・島津斉彬の養女・天璋院が大奥に入る。そ して数年後に将軍が逝去すると、第十四代将軍・家茂の妻として孝明天皇の妹・ 和宮が京都からやってくる。
はからずも姑と嫁の関係になった二人は、始めは、まったく違った環境と仕来 りの中で育ったこと、周りに多くの女性が仕えており直接の会話が難しい状況か ら、なかなか心の交流をもてなかったが、それも時とともに解消していく。
やがて二人は、時代が江戸幕府の滅亡、戊辰戦争の開始と急展開する中、互い に力を合わせ、江戸無血開城、徳川宗家の存続という歴史に残る事績を成し遂げ ていくことになる。「大奥」という舞台から幕末の激動を描いた本書は、歴史を 見る新しい視点を読者に提供してくれることだろう。

ブログ「松の間の床の間」より/
カバーの見返し部分に、本文の一部が引用されているのですが、特に編集者と打 ち合わせたわけではないのに、私の好きな部分を選んでもらえて、ちょっとうれし い。以下、カバー見返しの引用文。

慶喜の弁解を、天璋院は強い口調でさえぎった。
「何の責任も、お取りにならないのですか」
慶喜は一瞬、呆然として、それから我に返ったように応えた。
「もちろん取ります。帝がお命じになるのであれば、将軍職だけでなく、徳川家の 当主としての座も退きますし、切腹ということであれば、いさぎよく切腹いたしま す」
天璋院は冷ややかに言った。
「帝がお命じになればでは、遅いのです。和宮さまにしても、何の手土産もなく、 朝廷と御家の仲立ちは、できますまい」

以上は、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いに負けて、軍艦で江戸に逃げ帰った後の対面 シーンで、天璋院の気の強さを、前面に押し出した場面です。そして本文では、さ らに過激な言葉が続きます。

慶喜は怪訝な顔で聞いた。
「手土産とは」
「朝敵の生首でも」
一瞬にして慶喜の顔色が変わった。
切腹を口にしながらも、自分の生首を差し出すとまでは、思い至らなかったらし い。
天璋院は、いっそう冷ややかに言った。
「前将軍の生首が、都の三条河原に晒されたら、旗本八万騎は黙ってはおりますま いな」

勝海舟は晩年のインタビューで、「天璋院はしまいまで徳川慶喜が嫌いさ」と話 しています。その言葉が、私の天璋院のイメージづくりの決め手でした。他人から 見て、人の好き嫌いがわかるというのは、かなりはっきりした性格の女性だろう し、慶喜が嫌いというのは、おそらく彼の行動のあいまいさが許せなかったので しょう。

和宮に関しては、一昨年『女たちの江戸開城』でも描きましたが、京女、公家の 娘、才媛という三拍子揃った侍女たちが周囲を取り囲み、最強のプロジェクト・ チームが形成されていました。
そんな京女集団と天璋院とでは、肌が合うはずがありません。それでも幕府崩壊 の際に、天璋院と和宮が手を握ったのは事実なのです。そこに至る経緯には、幕府 が傾いていくという時代背景がからんでおり、女同士のドロドロだけではない、幕 末ならではの大奥の面白さがあります。

私にとっては『女たちの江戸開城』の前編ともいうべき作品だけに、今回の『天 璋院と和宮』を書くにあたっては、特に下調べの必要がなく、書き下ろしの依頼を いただいて、すぐに書き始め、一気に、楽しく書き上げることができました。読者 の皆さんにも、楽しく、気軽に、読んでいただければ幸いです。

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『天璋院と和宮』書評

スミセイ・ベストブック2008年6月号
以下紹介文P47~49より一部抜粋
「二人の女性の心のうちが丹念に描かれているため、魅力ある天璋院と和宮が浮かび上がってくる。(中略)歴史小説にあまり馴染みのない人にも、読みやすい」
「本書は、二人の女性の生涯のみならず、歴史的事績や大奥の実態を、余すところなく描いた文庫書き下ろしである」

スミセイ・ベストブック2008年6月号

スミセイ・ベストブック2008年6月号