内容紹介
新政府に抗した旧幕府方は、榎本武揚のもと箱館に結集した。旧幕府海軍の佐々倉松太郎ら若き浦賀衆たちもこれに加わるが、開陽丸は沈没、新政府軍が箱館に迫る。歴史小説の気鋭が描く、少年たちの箱館戦争とその後。
帯から
この城のように俺たちは船乗りの星、北極星になる
「開陽丸座礁から始まる展開が秀逸 著者にしか書けなかった五稜核戦争」宇江佐真理さん(作家)
「なぜこの主人公を選んだのか、その理由がわかるラストに感動」細谷正充さん(文芸評論家)
新田次郎賞&中山義秀賞作家が描く箱館戦争、書き下ろし!
執筆意図など
そもそもの始まりは、かれこれ9年前の歴史文学賞だった。受賞作の「桑港にて」は本にするのに少し短くて、もう一作、書く必要があった。「桑港にて」は咸臨丸の話だから、似たテイストで、鳳凰丸という日本で最初の洋式造船を題材にしようと決めた。
鳳凰丸はペリー来航直後に、浦賀奉行所で造った帆船で、造船方が中島三郎助、操船方が佐々倉桐太郎といった。ふたりとも浦賀与力であり、特に佐々倉桐太郎は咸臨丸で渡米した士官のひとりで、その点でも受賞作と共通項があって、併載作としていいなと思った。
浦賀の奉行所跡はもちろん、都内の小型船の造船所なども取材して、帆船を造り上げるまでの幕末小説を書き始めた。しかし担当編集者とのコミュニケーションがうまくいかず、書いても書いても内容的な不足を指摘され、枚数が400字換算で300枚を越えてしまった。そうなると多すぎて、受賞作に併載できない。
書いているうちに、編集者の目指す方向性がわかってきたので、その作品は、すっぱり捨てて、新たな作品を書くことにした。それが「燃えたぎる石」だった。昨年、1冊分に書き足して、角川文庫から出た作品だ。
結局「桑港にて」は「燃えたぎる石」を併載して無事出版され、浦賀の造船物語は、お蔵入りとなった。ただ中島三郎助と佐々倉桐太郎については、いつか書きたいと思っていた。
特に幕府崩壊後、中島三郎助は息子ふたりとともに、箱館戦争で華々しく戦死したのに対して、佐々倉桐太郎は肺を病んで箱館には行かれなかった。代わりに息子の松太郎を出征させたものの、松太郎は生き残って帰ってきてしまい、桐太郎は息子を殴りつけたという。
同じ浦賀与力同士、また、その息子同士でありながら、生き残った者と死んだ者との境は、どこにあったのか。父親に殴られた後、松太郎は、どんな人生を送ったのか。その点が気になってしかたなかった。
それから数年が経ち、映画評論家の友人が「若いイケメンが、いっぱい出てくるような小説を書けば、映画の原作になる可能性があるよ」と言うので、ならば佐々倉松太郎など若い海軍士官たちの視点で、箱館戦争を描いたらどうかなと考えついた。
その後、また月日が経って、角川書店から「何か単行本を書きませんか」と誘って頂いた時に、この題材を提案してみたら、すんなりと企画が通った。映画化は夢のまた夢としても、「若い海軍士官たちの箱館戦争」というのは、わかりやすいテーマだったのだと思う。
でも、もともとは息子たちのことではなく、父親たちのことを書きたかったので、書き始めてから、その辺の頭の切り替えに少し苦労し、いつになく書き直しに手間取った。それでも最終的には、得意の幕府海軍ものとして、いい作品に仕上がったのではないかと思っている。ご一読いただければ幸いである。(記・植松三十里)
書評・関連記事など
本の旅人2012年1月号「今月の新刊」より一部抜粋
作者は最後の一章をまるまる費やし、その後の松太郎の人生を追いかける。若き彼らが希望を託した、五稜郭という地上の星は、すでに輝きを失った。しかし、それでも彼は星の輝きを胸に、生きていく。ああ、こうした人の繋がりから育まれる想いと志をえがくために、作者は生き残った松太郎を主人公にしたのか。それがはっきりと分かるラストに、感動せずにはいられない。2011年の掉尾を飾る、歴史小説の収穫だ。(細谷正充氏・記)
北海道新聞2月12日朝刊