著作

かちがらす-幕末の肥前佐賀

 

内容紹介

維新の礎を作った佐賀藩主・鍋島直正の生涯 若くして佐賀藩主となった鍋島直正。財政難に苦しむなか城が火事になるが、それをきっかけに藩の改革を進めた。長崎警備を任されていた佐賀藩は、外国船の進入が増え、中国がアヘン戦争でイギリスに敗れたことに危機感を覚えた。 直正は軍事力で世界に負けないように、最新の大砲や銃、西洋流の船の建造を藩で行うための人材を登用した。耐火煉瓦を作っての反射炉の建設、鉄の鋳造、大砲の製造は、いくつもの難関を乗り越えて成し遂げられた。三重津には、藩独自の海軍学校を設けた。 また、幼い息子の淳一郎にいち早く種痘を受けさせ、普及を促した。 藩主を16歳の直大に譲って隠居した直正は、〈日本を外国列強の属国にしない〉〈幕府側と倒幕派との内乱を回避する〉という思いを、諸大名や公家に伝えていった。最新の軍事力を誇る佐賀藩は、幕府側・倒幕派ともに頼りにされる存在だった。 欧米諸国が開国を迫り、攘夷を叫ぶ諸藩が戦火を交える中、体調を崩しながら、直正は徳川慶喜との会見に臨む。 島津斉彬、井伊直弼、江川坦庵、田中久重、勝海舟、江藤新平、大隈重信……。多士済々の人物と交流し、明治維新の礎を作った鍋島直正を描いた長編小説。

内容(「BOOK」データベースより) 若くして佐賀藩主となった鍋島直正。藩は長崎警備を勤めたが、外国船の侵入が増え、清国が阿片戦争でイギリスに敗れたことに危機感を覚えていた。直正は、日本を欧米列強の属国にさせないために、幅広く人材を登用し、反射炉の建設、鉄製大砲の鋳造、蒸気船の建造といった難事業に、藩を挙げて挑んだ。苦難の末に獲得した軍事力は、幕府側倒幕派双方から恐れられ、求められた。直正は、“幕府側と倒幕派との内乱を回避する”という思いを諸大名や公家に伝えていった。島津斉彬、井伊直弼、江川坦庵をはじめ多士済々の人物と交流し、近代日本の礎を作った名君を描く。

 

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佐賀新聞