著作

黒鉄の志士たち

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帯から
なんとしても大砲を造れ! 幕末、たった一冊の蘭書を頼りに、製鉄に挑んだ佐賀藩主鍋島直正と男たちの苦闘の物語。

笑う者には笑わせておけ。大砲は火を吹かぬのが、いちばんいいのだ。敵に侮られれば砲撃を受ける。そうなれば、こちらの大砲も火を吹く。だが侮られぬほどの立派な砲台場があれば、最初から攻撃は受けぬ。そうであろう。現にプチャーチンがそうだった。(中略)道なき道を来たのだから、回り道もある。西洋人が百年も二百年もかかったことを、われらは数年で成し遂げたのだ。無理もある。

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この作品を書くまで
『黒鉄の志士たち』は、以前、岩波書店の『科学』で2年間、連載したものを、大幅に書き直した作品で、いわば幕末プロジェクトX的な内容です。
私は歴史文学賞を頂いて作家デビューする半年ほど前に、九州さが大衆文学賞という推理と時代小説だけの賞で、佳作を頂きました。その授賞式で、佐賀に呼んで頂いて、幕末の佐賀は面白そうだなと思ったのが、構想のきっかけでした。
特に反射炉というものには驚かされました。たった1冊の蘭書を参考に、大がかりな炉を造り上げ、大量の鉄を溶かし、ペリー来航前に、欧米並みの大型鉄製大砲を鋳造していたのです。
私は普段、出身地を静岡市と書いていますが、実は小学校3年生まで、埼玉県の川口市内で暮らしていました。ただ友人は静岡の方が圧倒的に多いので「静岡市出身」にしています。川口は吉永小百合の「キューポラのある町」の舞台。江戸時代から鋳物業が盛んで、私が子供の頃は、町中いたるところに工場(こうば)があり、工員さんたちを若い衆(わかいし)と呼ぶ土地柄でした。
実家の家業は鋳物業ではなく、今も歯車を作っています。私は工場の2階で育ったので、庭は工場の敷地。鉄板やら、歯車の歯を切り落とした切り子やら、製品の歯車やら、どこもかしこも鉄だらけという環境でした。
そんな下地があるところに、佐賀の反射炉を知ったので、これは、ぜひ小説にしたいと思ったのです。とはいえ鉄は専門的なうえに奥が深く、容易には手がつけられませんでした。そこに、たまたま岩波書店の『科学』から連載のお誘いを受け、これぞ好機とばかり、佐賀藩の反射炉の物語を書くことにしたのです。
けれど「鉄から炭素を抜く」などと言われても、私にはさっぱりだし、鉄は日本の産業の基本なので、あだやおろそかには書けません。それで、とにかく鉄の博物館があると聞けば、石巻であろうと出雲であろうと足を運び、なんとか連載を書き進めました。
連載終了後は、一から書き直しましたが、なかなか納得できず、何度、書き直したか知れません。正直なところ、これほど書くのに苦労した作品は初めてでした。途中で何度も、もう駄目だと思いました。
この題材に関しては、できるだけ史実に沿って書きたかったし、最後まで専門家の方に教えて頂きながら、ようやく本になりました。ご協力くださった方々には、心から感謝しています。
また最初に『科学』の編集長に「何か、書きませんか」と言っていただかなかったら、このテーマは、おそらくいまだに手をつけられないままだったと思います。また書き直し途中の段階で、文藝春秋の方が「本にしましょう」と言ってくださったことで、「文藝春秋で出して貰えるなら、納得のいくものに仕上げたい」と、最後まで書き通せました。
最初、わけもわからず、不安のままにスタートし、何とか最後まで貫徹できた意志は、幕末当時、反射炉で鉄製大型砲を造った本島藤太夫たちに、少しは通じるものがあるのではないかと自負しています。(記/植松三十里)